ジャーナリズムに関する問題は殆ど論じ尽されてしまったかのように見えるに拘らず、なおジャーナリストの問題が残っているように思われる。ジャーナリストはイデオロギストとして何であるか、という問はまだ十分に答えられていない。私はこの問に答えて、ジャーナリストとは先ずエンサイクロペディストである、と云おうと思う。
歴史上最も有名なエンサイクロペディアと云えば、十八世紀に於けるフランスのアンシクロペディである。その最後の巻の出たのは一七七二年であり、目次と補遺とが完成されたのは一七八〇年のことであった。そして一七八九年がフランス大革命の年であったことを誰でも知っている。このアンシクロペディの最初の目論見は唯物論者であったディドゥロから来ている。彼は、まだ名が聞えていなかったので、科学アカデミーの会員で既に名声のあった数学者ダランベールと協同した。この二人の指導編輯のもとに初めの二巻が現われた後、十八ケ月の間中絶され、再び着手されたが、アンシクロペディの出版は今度は議会によって阻止された。ダランベールは驚き恐れ、遂にこの仕事から退いた。それがとにかく完結することになったのは、専らディドゥロの、迫害と困難の三十年間に亙って変ることなき、善き意志と忍耐とによるのである。彼の献身的行為は称讃されてよい。このアンシクロペディに協力した人々は普通にアンシクロペディストと呼ばれている。ヴォルテール、モンテスキュー、ビュッフォン、コンジャック、エルヴェチウス、チュルゴなどは我々にもよく知られた名前である。
ひとはこのアンシクロペディが何等か今日の大英百科辞書やブロックハウスの百科辞典に類するものであった、と想像してはならない。そこでは公平な、無理のない定義や学説が求められたのではない。博識ではなく、批判がそれの内容であった、それは過去の精神、信仰、制度に対して据えつけられた抵抗し難い大機械であった。理性の進歩によって人類社会を改善せんとする熱烈な意図のもとに、一般人の関心する事柄についての伝統的な知識を破壊することがそれの目的であったのである。これまで真理として通用して来たものは悉く訂正され、新たに作り直される。百科辞書はこの場合ポレミックの堆積であり、また様々な題目についての随筆集でもあったのである。ヴォルテールはアンシクロペディを「大商店」と名付け、その執筆者たちを「番頭さん」と呼んだ。このヴォルテールがまたひとりで同じような調子の『哲学辞書』を書いているのは有名である。
百科辞書家の大部分は、その頭目ディドゥロを初めとして、当時の急進的乃至進歩的思想家であった。議会に於て彼等を告発した人は、彼等は「唯物論を支持し、宗教を破壊し、独立を勧説し、且風俗の堕落を養成するための結社」であると述べた。かのアンシクロペディは当時の急進的乃至進歩的イデオロギーの一大集成であったのである。今日歴史家はそれが一七八九年と如何なる関係にあり、一般に如何なる文化史的意義を担っていたかを誰も知っている。
我々の時代は固より十八世紀ではない。歴史的類推は誤謬を惹き起し易いものである。私は現在がエンサイクロペディアの時代であるかどうかをここで問題にしようとは思っていない。ロシヤで進行しつつあるプロレタリア百科辞書が十八世紀のアンシクロペディと全く性質を異にするものであることは云うまでもない。それにも拘らず、私は多くの意味に於て現代のジャーナリストをエンサイクロペディストとして特徴付けることが出来はしないかと思う。
日本の今日のジャーナリストの多くが進歩的乃至急進的思想家であることは、十八世紀の百科辞書家の場合と同様である。学説でなく批評が、叙述でなくポレミックがジャーナリストの生命である。論文が随筆的要素を含み、文学がイデオロギーによって占められるということも、二つの場合に於て似ている。現在の問題を問題にしながら、それを刻々の解決の必要に迫られている実際問題として取り上げるというよりも、寧ろそれを或る一般的なイデオロギーの問題の平面へまで持って来て取り扱うということも、二つの場合に於て同じである。ジャーナリストは実際家でもなく、また必ずしも実践的智慧に於て勝れている者でもない。
ジャーナリストをもって通俗化する人であるかのように定義する普通の見方は間違っている。従来の学問上の定義若くは通説を真理としてこれを通俗化するだけでは生きたジャーナリストでない。彼等は却ってそれを訂正し、作り直す人である。彼等の優秀な者は、十八世紀のアンシクロペディストがそうであったように、当代の立派な学者である。併し彼等は所謂学者ではない。彼等にとっては依然として、純粋に学究的な問題でなく、社会の日常の現実的な問題が関心の中心であり、そして彼等は多くの場合、社会の革新に対する熱意をさえ欠くものではない。ジャーナリストの本質は、学問を通俗化するところにあるのでなく新しいイデオロギーを代表し、独特の文体をもち、そして問題の或る特殊な取扱い方をするところにある。彼等は学者であるよりも、寧ろ広義に於ける文学者であり十八世紀の百科辞書家と同じく、文学史上に独自な位置を占むべきものである。今日のジャーナリストも、かのアンシクロペディストと同じく、或る特別な文学形態を生産しつつあるのであり、またそうすることを要求されているのではなかろうか。
ジャーナリストの問題の取扱い方の特殊性は彼等の活動の舞台であるものによっても制約されているであろう。彼等の発表機関である雑誌は、今日その大多数が月刊である。一ケ月の間隔のあるところでは、問題は真に実践的な立場から十分に取扱われることが出来ぬ。思想が現実的に実践的になって来るとき、ひとは日刊を要求するようになるであろう。現在普通の月刊雑誌に於ては、ジャーナリストは問題を多かれ少なかれその刻々の姿から離して或る一般的なイデオロギーの問題の平面まで持ち上げて論ずるようにせられているのである。外国の諸雑誌はこの頃、或るものは週刊に他のもの即ち学術雑誌は四季報または年報になって行く傾向を一般に示しつつある。併るに我が国に於ては大多数の学術雑誌が今なお月刊である。このことがまたそれの性質を制約して学術雑誌をジャーナリズム風にしている。ここには唯より拙劣な、悪質の、泥臭い野心をもったジャーナリズムがあるだけである。
「人間は欲求に充ちている、彼はそれを凡て満すことの出来る者のほか愛しない。」ジャーナリストはこの言葉を理解している。併し彼等はパスカルやモンテーニュなどの時代の「オネート・オム」即ち全面的な教養をもった普通人であろうとするのではない。或はまた彼等はゲーテの時代に於けるような「全人」の理想を掲げるものでもない。彼等は却ってまさにエンサイクロペディストである。彼等は個人の個人としての普遍的な、全体的な教養を要求するのでなく、あらゆる社会人の日常の啓蒙的な一般的な要求を満足させようとしているのである。
エンサイクロペディストは歴史的発展に於ける啓蒙時代に相応する種類の人間である。啓蒙時代というのは、社会的発展の過渡期に相応する文化形態に関係して名付けられる名前である。ギリシアの啓蒙時代に現われたソピストが既に或る意味でエンサイクロペディストであった。今日のジャーナリストはまさに啓蒙家である。併しこの場合啓蒙ということが、これまで通用して来た学問を唯通俗化するということでないのは勿論である。生きたジャーナリストはつねに新しいイデオロギーの代表者であるけれども彼等は何等かの学説体系を樹てようとか、自己の作品をいわば永遠に向って遺そうとか、などということを考えていない。この意味に於てもジャーナリストはエンサイクロペディストである。彼等の意義は唯社会的歴史的現実との関係に於てのみ評価さるべきである。言い換えれば、彼等の活動は「イデー」の方面からでなく「イデオロギー」の方面から見られねばならぬ。
今日ジャーナリストは、嘗てのアンシクロペディストの如く、保守的な反動的な人々によって甚だ嫌悪され、非難されている。これらの人々は恰もジャーナリズムが危険思想の製造場のように云う。併しジャーナリズムを必然的に作り出さねばならなかったもの、それはまさに資本主義ではなかったのか。それ故にこれらの人々のジャーナリズム攻撃は、若し自己斉合的であり、徹底的であることを欲するならば、必然的に資本主義そのものの攻撃にまで進んで行かなければならない。自己の味方ではないものを生産するに至るところに、資本主義の自己矛盾があり、そこにそれが次のものに推移せねばならぬ必然性の契機が含まれているのである。
新しい階級は、あらゆる他の場合に於てと同様に、ここでもまた単に否定にのみはたらかない。それはジャーナリズムを自己のうちに弁証法的な意味に於て止揚することを知っている。今プロレタリア・ジャーナリズムなる語が有意味的に用いられ得るか否かを問わない。併しひとは現在、新しい階級が如何に効果的にジャーナリズム的手段を使用しているかを知っている。この階級の発展と共にジャーナリズムがどのように変形されて行くか、そのとき今日のジャーナリストの形態がまたそれに伴ってどのように転化して行かねばならないか、そのときジャーナリストはなおエンサイクロペディストとして特徴付けられ得るか否か、これらの重要な問題について、今やジャーナリスト自身が最も真面目に考えてみるべき時である。
(一九三一年五月)